ペラペラの自尊感情

言葉のリハビリ帳

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を観た。

某所に投げたやつをそのまま投下。思ったことを書きなぐっただけ。ネタバレ思いっきりしてるので注意。

 

考えたことは主にこの3つ。

 

  1. 映像とモチーフについて
  2. 祐介について
  3. 某映画との比較につい

 

1に関して。
映像は抜群に美しかった。わたしが海やプールなど水辺が好きという贔屓目はあるけれど、映像を見にいくだけでも価値のある映画だと思う。花火の色彩と海の青。水中のキスシーンサイコー!!ただなずながどうしても中学生に見えない。ビジュアルが中学生なのに所々色っぽい、みたいな感じだとなずなの危うさがより滲み出るのじゃないかな。私はそんなヒロインが好きです(※個人の感想)
モチーフに関しては「とんぼ」「水の上を走る電車」「白いワンピース」が気になった。白いワンピースは少女性、電車に関しては千と千尋を感じる。(考察班ではないのでここまで)

 

2に関して。わたしはここをむちゃくちゃ語りたいよ!
典道となずなの淡い恋、それだけでこの物語は語れない。祐介の存在がある。男女トリオ過激派なので、いまいち祐介が描かれてなかったのを個人的に残念に思った。祐介はなずなに恋心を抱き、なずなと典道が二人でいるところを見かけ嫉妬心に駆られる。

さて、この祐介に関してわたしが謎に思っていることは以下である。


・祐介はなぜなずなと花火を見に行かなかったのか
・水泳勝負の後、花火に誘う際なずなはなぜ祐介には「好き」と言ったのに、典道には言わなかったのか、そして水上電車の中でなずなが祐介を嫌なやつ扱いしたのはなぜか
・祐介はなぜあそこまで典道に憎悪とも言えそうな厳しい目を向けていたのか

 

わたしはこの答えを出すために「祐介も典道と同じようになずなと過ごすために、もしも玉で何度か時を繰り返していたが、自分ではなずなの助けにならないとわかり身を引いたが(もしくはなずなに拒否されたが)、今度はなずなと一緒にいる男が典道に移り、自分のできなかったことを成そうとしているのに対し、憎悪を抱いた」という予想を立てた。この予想は、もしも玉が砕け散ったシーンで、祐介となずなが夏祭りデートをしている様子が映し出されて考えついた。

が、この読みは間違ってるみたい。祐介がループを繰り返し、その記憶を保持してるなら典道に「夏が終わったら告白する」なんて言わないし、典道を目の敵にしてたのは単純に思春期特有の青い嫉妬だ!といくらでも理由付けできる。祐介がなずなと花火を見に行かなかったのは緊張してチキっちゃったのかもしれない。というわけで残念ながら私の予想は色々無理がある。

でも、私は祐介という人物が間違いなくキーパーソンであると序盤から思ってたので、これくらいなずなと典道の運命に絡んでくれてもよかったのになぁと思う。祐介の存在を他のクラスメイトより際立たせたわけだしね。 あと、これは祐介と関係ないんだけれど、「もしも」の世界を繰り返している間は花火をずっと横から見ようとしてたのに、もしもの世界が砕け散った後は下から見てるんだよね。水中から花火を見上げるシーンはひたすらきれいだった。

 

3に関して。
世間でもあれこれ言われてるけど、そりゃ某映画と比較したら酷評も出るだろうよという感じ。一番考えたのは、某映画は「入れ替わる→お互いを知る→好きになっていく…」みたいな感じで、非常にわかりやすく「然もありなん」といった筋道が通っているから、入れ替わりや時間遡行などが起こっても見ている側はそんなに困らない。「うんうん、それもまた青春だね」と頷ける。けれどこの映画は、某映画と比べて、王道とか筋道があるわけじゃない。時々突飛なことが起こって見ている側が取り残されてしまうんだろうなという印象があった。「花火が平べったい…こんな世界間違ってる!!」「お、おう?」みたいな感じ。
けれど筋道が通り、わかりやすいことが必ずしもいい映画の条件かというとそうじゃないと思う。人の物語なんてフィクションみたいに筋道が通ってるわけないし、恋は前触れなんかなくてもいきなり落ちるものだ。わたしはこの映画が劣っているとは決して思わない。高校の国語の時間で、『羅生門』の下人の行方を想像してみんなでわいわい話し合ったと思う。オープンエンドはいろんな人とあれこれ話し合えるから素敵。
ただただ比較対象が悪すぎるという言葉に尽きる。対象があまりにも「大衆向き」すぎた。この映画は他のアニメ映画のスケープゴートとして世に出てしまった。この映画じゃなくとも、「アニメ映画」というジャンルを背負う映画は必然的に比較されてしまっただろう、ちょっと運がない。Twitterで文学作品として見てくれ、といった意見を見かけたが、ちょっとわかる。その方はそういう意味で言ったわけじゃないけど、どこか芥川賞の作品を直木賞の舞台で語っているようなそんな感じがしてならない。比較じゃなくてその作品がどう優れているかで評価していこうな。

 

以上、誰も得しない感想でした。とりあえず原作ドラマを見て、また考えを深めたいと思います。ちなみに私はaiko信者なので、花火は上から見ます。

前を向くよう仕向けられている僕たちは

人と関わるのになんだか疲れた。

 

そんな事を考える人は少なくないんだと思う。そんな時どうすればいいか答えを求めてネットで検索する。本を読む。でも結局は「リフレッシュしたらまた頑張ろう!」みたいに締めくくられてるんだよね。中には親友に相談しよう!とか書かれてて、いや親友なんて存在がいたら人間関係苦労しないでしょうよ、と。

 

めんどくさいなぁ。疲れたなぁ。後で後悔して自分の首を絞めるのはわかっているのに、好意を向けてくれる人間に対しても素っ気ない態度を取ってしまう。誰かに助けて欲しいのに助けを求めない。なんだか生物として破綻している気持ちになったところで、わたしは今日もまた部屋の中で引きこもる。

夏の星座にぶらさがっても花火は見えない

2年前の夏祭りの日、浴衣に身を包んであの人に会いに行った。花火の間中手を握ってくれていて、また別のお祭りにも行こうねと言ってくれた。楽しい夏が始まるはずだった。

 

別れたけど、元気かな。あんなに暑かったはずなのに、繋いだ手はちっとも不快じゃなかった。あなたの好きな夏が始まって、わたしはまだ苦しいままだ。またいつかあなたの隣で花火を見れたらいいな。

海外の大学院に行って、いずれは国連で働く!

……というのがわたしの友人の言葉である。その人は一年浪人して、いまとある国公立大学に行ってる。海外志向が強くて、なんども海外に旅行に行ったりボランティアをしている。海外の方と交流するサークルに入って忙しくしているらしい。

彼は、大学を卒業してから、海外の大学院に行って、やがて国連でポストを得て働きたいらしい。厳しい道であるが、夢を叶えるためにどんなことでもすると意気込んでいる。

 

一方のわたしはというと、とにかく安定志向。大学を卒業して、ちゃんと就職を決めてとにかくこつこつお金を稼いで生きていきたい。すなわち友人と真逆の考え方をしている。

わたしは正直にいうと、友人のことが羨ましい。夢を語れることと、それを実現しようとする意志と、自信を持っていることが。詰るつもりはなく、本当に羨ましい。

わたしは枠からはみ出るのが怖い。留年するのが怖い。就職できないのが怖い。食べていけないのが怖い。いつまでも怖い。

いつか君を海外に連れ出す。養うから。……そんなことを言われても、わたしは英語なんて話せないし海外で暮らすことなんてできない。わたしはきっと無難、かつ愚かな選択から逃れられない。ごめんね。

 

海外志向の友人だけではない。茨の道の文系大学院進学をなんの迷いもなく決めて勉強している友人がいる。どうすれば彼らのようになれるんだろう。羨ましい、そして眩しい。

「ガーディアンズオブギャラクシー」を見た

友人にとても映画好きな人がいて、オススメされて見てみた。アメコミ映画と呼んでいいのだろうか。映画をほとんど見ずに21まで生きてきたことを反省して、食わず嫌いせず何でも見てみようという気持ちになっている。

 

面白かった。比較材料がないからなんとも言えないけど楽しめた。他を見たらもっと感想かけるようになるかな。昔やったアクションゲームを思い出した、サルゲッチュとかマリオギャラクシーとかその辺り。(伝わるんだろうか……) 仲間を集め、絆を深めて悪に立ち向かうって古今東西どんな創作にも出てくる典型パターンなんだけど、ワクワクする。

 

アクションものを見るたび、私もあれくらい戦えたらいいなぁ、かっこいいなぁと思うんだけど、そのことを友人に話したら微妙な反応を返された。そんなに変なこと言ったかな……

 

2をつい最近までやってたらしい。またDVDが出たらレンタルしに行こう。

村上春樹の「ノルウェイの森」を読んだ

村上春樹を読むのは初めてである。というのも私の両親がアンチ村上春樹で、家に一冊も本がないからである。まぁ食わず嫌いもよくないだろうということで、何気なく大学図書館で「ノルウェイの森」を手に取った。 

 

感想としては、思ったより楽しめた。に尽きる。文学を鑑賞する能力がないためら、感想にとどまるけれど、いくつか思ったことをポエミーに書いてみたい。(ネタバレを含みます)

 

  • 恋愛小説ではなかった
  • 才能のこと
  • 直子と緑
  • レイコさんについて

 

まず、「恋愛小説ではなかった」ことについて。

 

私はてっきりこの小説はセックスやら恋やらをいかにも難しく哲学的に書いてるものだと思い込んでた。もちろん恋愛の要素も多分にあるのだけれど、恋愛よりもいたるところに「死」の匂いが漂っていてそっちに心が占有される。(実際に多くの登場人物が死ぬんだけれど)。そのおかげで性的なシーンでもどこか幻想的な雰囲気があるというか、ぼんやりと「死」の薄暗さみたいなものを感じてぞわりとした。直子はワタナベと一度だけ性行してしまったことで、近い未来自殺することが決まったのかもしれない。性行は、生と死を分ける、交わらせる装置なのだろうか。

 

性的描写が多く、ポルノ小説だ!みたいな評もあるらしい。まぁ確かに多いことは多い。(私はさほど気にならなかったが) しかし、少女とレイコさんの性的接触、ラストシーンのワタナベとレイコさんの性行にはひえっ……となってしまった。その抵抗感は私の年齢からくるのかもしれないが。

 

続いて才能のこと。

 

レイコさんがワタナベに対して過去の話をするシーンのことである。

素晴らしい才能に恵まれながら、それを体系化するための努力ができないで、才能を細かくまきちらして終ってしまう人たちがね。

なんだかこの文を読んでうんうんと頷いてしまった。「努力できることも才能だ!」なんて凡庸なことをこんな風に表現できるのはいいな、と思った。まきちらす才能すらない私はただふーんそんなものなのか、と思うことしかできないのだけれど。

 

直子と緑

 

ワタナベが緑を愛していることに気づき、レイコさんに手紙を送るシーンもまた印象的だった。対象によって「愛すること」の定義は変わってくるのかな。愛し方は違うのかな。だとしたら、人が複数人を好きになった時に1人に絞ろうとするのは無理があるかもしれない。浮気者の都合のいい言い訳かもしらないけどね。

 

最後に、レイコさんについて

 

本を読み終わった後、色々自分で整理してからいろんなサイトを回って人がどんなことを考えているか見るのが好きなんだけれど、レイコさんについて面白い見方があった。それは「レイコさんが虚言癖がある」ということである。

 

確かに、レイコさんの経験した過去というのは、真実かどうかは確かめようがない。嘘をついていない証拠がない。私にはそのような考えが全く浮かばなかったから非常にびっくりした。もしその説が正しいとしたら、これはなんて恐ろしい小説なんだろう、と。レイコさんの話していた少女は実はレイコさん自身のことであり、彼女は直子を追い詰め、殺した(あるいは自殺させるよう仕向けた)…… 恋愛どころかものすごいホラー小説になる。嫌だなぁ、面白いけれど。

 

思ったより好き勝手書くことができた。ここに書いたのは1人のポンコツ大学生の戯言なので、誤りは多々あるだろうがお許しいただきたい。私は今21歳なのだが、この歳で読むことができてよかったと思う。高校生ではさらに意味がわからなかっただろうし、卒業してからは遅かった。あと10年ぐらい経ったからもう一度読んでみようかな。

大学に運命的な出会いなどない

大学に入れば、色んな人と出会えると思っていた。大学に入れば、気の合う友人ができて、夜通し語り合うことができるんだと思ってた。大学の広い講義室で、ふと声をかけられる。何かの団体の勧誘かもしれない、単純に講義のノートを見せてほしいだけかもしれない。けれど私は誰か、と出会ってそこから人の輪はどんどん広がっていくのだ。たくさんの人と出会って、たくさんの話をしたかった。文学の話、趣味の話、恋の話、下世話な話、なんでもいい。

 

でもそんなものはなかった。

運命的な出会いどころか、まともに友人一つも持つことができていない。大学構内に友人と呼べる人物が一人もいない。

 

理由はおそらく二つある。私は人と交流する努力をしていないこと、そして私に人としての魅力がないことだ。

 

サークルは半年で辞めた。学校に行くのに4時間かかる。そして資格関係の授業が忙しくてとてもサークルに行く時間はなかった。というのは建前で、時間を捻出して、行く努力をしなかったのだ。めんどくさいと思ってしまったのだ。サークルで孤立していたわけではなく、話せる人はいたけれど私は全部放棄した。

 

別に困らない。大学で友人がいなくても自分がしっかりしていればテストで受からないなんてことはない。(理系みたいに過去問が必要ない) 食事は人とするのが苦手だから、むしろ気が楽である。

 

講義だけは休まずしっかり受けて、家と学校との往復を繰り返す惨めでつまらない大学生活を送ってしまっている。勉強は楽しいけれど、優秀なのは勉強をした上で、多くの人と関われる人間なのである。机にかじりついているだけの視野の狭い人間のどこが優秀だろうか?最近、大学に行くたびに死にたくなる。こんなつまらない人間と誰が仲良くしたいと思うだろう。

 

高校の時もクラスに一人も友人がいなかったことを考えれば、何も変わっていないのだが。人と話すことは嫌いではないのに、どうして仲良くする努力をしないんだろうか。人と交流することが本当は好きなはずなのにどうして努力しないんだろう。できもしないくせに、今すぐ死んでしまいたくなる。